よく生きることはよく食べること

スパゲッティって自分で作った方が絶対においしいよなって思う食べもののひとつ。
材料にお金かけられるからかなあとぼんやり思ってるわたくし。
「アレッタ(新しい野菜)とパンチェッタのペペロンチーノ」
現在このような「食べものブログ」を書いたりしているわたくし。
食べものにああだこうだとうるさいようだが、
一人暮らしをしていた娘時代は毎日カップラーメン食べてたです。
しかもカレー味。カレー味のどん兵衛も好きだったです。ははは。
デザイン学校行っててね、貧乏だったからね。
当時のわたくしの原材料の1/2は、上述のカップヌードルと
阪急百貨店の地下食品売り場で売ってた30円のあんぱん。
なにしろ、一日のうち食べものにかけられた金額は200円。
画材買わなくちゃいけないしね。食べものなんか後回しである。
しかし幸いなことに、晩ごはんはいいものを食べていた。
17時~22時までバイトしてた喫茶店で、
日替わりランチを食べさせてもらってたのだ。
鳥取などというド田舎から出てきた、生意気な小娘だったわたくしに、
そこのスタッフがなんだかんだ世話を焼いてくれたのだった。

材料入れとくと勝手にパンを焼いてくれるパン焼き機ってすばらしい。
「くるみ・レーズン・ドライチェリーの全粒粉パンのサンドイッチ」
スライスチーズ以外は某D社で購入した食材っす。原価1,500円。高っ!
バナナジュースやアイスティー、クレープの作り方を教わり、
時折賞味期限切れのケーキ食べさせてもらったりして、
アハハケラケラと楽しくバイトして、時給は700円だった。
たいして仕事もしてないのに、今思うとすごく幸せである。
ママ、パパ、マスター、K谷くん、ありがとう。お世話になりました。
今わたくしが元気でいるのは、あなたたちのおかげだと思っとります。
さて、そんなわたくしが食べものを気にし始めたのは26歳のときである。
安全とかはあんまり関係なくって
「添加物の入ってない食品はすんごくおいしい」らしいという、
単なる好奇心がきっかけであった。食いしんぼのわたくしは、
「すんごくおいしいもの」を食べてみたかったのだ。
添加物の入ってない食品は、別に「すんごくおいしく」はなかった。
調味料は確かにおいしいが、加工品についてはどうだろう。
実際には添加物(化学調味料)が入ってないもので、
「おいしい!」と万人が感じるものはあまりない。

毎年味噌を仕込んでるので、ここ20年は手前味噌しか食べてない。
大豆つぶして麹と塩を混ぜるだけなのに、いつもちゃんとできるのが不思議だ。
梅干しなんかより簡単なのに、なぜ皆作らないのかな~。
昨今のお総菜類には「たんぱく加水分解物」「酵母エキス」が入っている。
これはアミノ酸(化学調味料)と表示されてないが、ほぼ同じものだ。
これらが入らないと皆が好きな味でなくなることが多い。
また、価格が高くなりがちである。
某D社のお総菜が価格の割にいまいちなのはこのせいだ。
素材が良いからと言って、皆がおいしいと言うものができるかというと、
決してそうではないのだった。
食味に最大公約数を求めるのは難しいから、
平準化するために化学調味料などの添加物が必要なのだ。
それらが入らないおいしいものを食べたいなら、手作りするしかない。
ってことで、人々は手間とおいしさ、価格を天秤にかけて、
日々食べるものを選択している。
せっかく食べるならおいしいもの食べたいと思う人と、
おなかがふくれれば何でもいいって人では、選ぶものが違うのは当然の話だ。
そして、どっちがいいとも言えないのだ。
だって、人は自分の原材料を自分で決めてんだもん。
自分の身体の責任は全て自分が負うのだから、何を選んでもいいのだった。

お弁当のふたをワクワクしながらあける瞬間ってすんごく幸せなんだけど、
そんなヨロコビは娘時代にしか味わえないってことに気づいた最近。
「おいしくなーい」「かまぼこ入れんのやめて」とか、好き勝手言ってた自分を
激しく反省している今日この頃。母よ、すまん。
さて、日本人は一日2回から3回なにかを食べて生きている。
わたくしの場合は朝ごはんを食べないので2回である。
ときどき3時にケーキやチョコレートを食べ、
コーヒーや紅茶やビールを飲む。
飲んだくれると夜なかにラーメン食べることもある。
でもまあ、おおむね2回だ。
娘のころからそれほどたくさん食べる方ではなかったので、
最近はほんの少しでおなかがいっぱいになってしまう。
ちょびっとしか食べられない=おいしいものしか食べたくない。
いつからか、そう感じるようになった。
なので、外食しておいしくないと腹が立つ。
玉川高島屋のレストラン街をうろうろして何も決まらず、
あー、もう!めんどくさーい!と思いながら、結局家で食べちゃうのは、
自分が作るものが一番おいしいからなのだった。
(それがまあ目玉焼き丼だったりするんだけど・・・)

たけのこやわらびなどの山菜類、できあいのものは味が濃くて苦手。
下煮したりアク取りしたり、そのめんどくささからごちそうなのだと
最近気づいたわたくし。そのぶん、おいしく食べられる気がする。
ふと、自分はあと何回ごはんを食べるんだろうと考える。
あと20年生きるとしたら14,600回。30年だと21,900回だ。
多いようでもあるし、そうでもない気がする。
そしてこの食事が、この間の自分の身体を作る。
たぶん生きてる間は食べなくてはならないからずっと食べる。
生きることと食べることは同じだ。
自分の「生」を作るために「食べる」のだ。
だからこそ、「何を食べるのか」がとても大事なのだった。
「あああ、おいしかったあ!」と思いながら食べるのと、
何も考えず、ただ空腹を満たすためだけに食べるのとでは、
身体にたまっていく幸せの量が違うような気がしてならない。
よく生きることは、よく食べることかもしれない。
そんなこと考えてる食欲の秋。
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