食べることは生きること。という美しい言葉について思うこと。

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Byほんたべ

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カモの解体だけで凶暴になるんだから、鹿とかの大動物は肉が多いし、
執着もすげーだろうなー、などと考えたら、狩猟免許取得時にさんざん聞いた
「猟欲」のことが理解できました。まる。



昨年、初めてわたくしはカモを解体した。

羽をむしっている間、よくわからない凶暴な感情に支配されていた。
「このカモをわたくしの血肉にしなければ!!」
この凶暴さはどこから来るのだろう。そしてなんなんだろう。

去年のわたくしはこれをカモの生命に対する責任だと思っていた。

自らの手で(おじさまが撃ったんだけど)生命を奪ったその責任だと。
その生命をじぶんのものにし食べ尽くさねば、という責任だと。

わたしを生かしてくれるすべての生命に対して
わたくしは感謝しなくてはならない、なんつーきれいごとを並べて
あまり感じたことのなかった感情を納得させたのかもしれない。

よく考えてみると、感謝や責任と、凶暴さは相容れない。
この感情がどこから来たのか。わたくしは今年一年考え続けた。

最近うちの庭に野良猫がやってきてエサをねだる。
彼女にエサをやると必死に食べる。
毎日同じ時間に来て、毎日もらっているのに、
「今食べないと明日はない!」という必死さである。

誰にもやんないからね!! アタシのものだから!!
彼女にはまったく余裕がない。必死な背中がいつも叫んでいる。

わたくしはその背中を数ヶ月見ていて、
カモの羽をむしっていたときの自分と同じだと気がついた。

わたくしはあのとき、カモとの生命を自らの手で「肉」にしたのだ。
「このカモをわたくしの血肉にしなければ!!」という凶暴な思いは、
肉、食べものに対する根源的な執着なのだった。

そしてわたくしは考えた。
これが「食べる」ということではないかと。

「食べることは生きること」とよく言われる。
とても美しい言葉である。

世界は便利になり、食べることもとても便利になった。
近所のお店に行けば食べきれないほどの食べものが並んでいる。
そのなかでわたくしたちは好きなものを選択する。

野菜もくだものもつくる必要はないし、
魚は誰かが獲ってきてくれたもの、誰かが育ててくれたもの。
それが切り身になって並んでいる。

肉もどこかの誰かが育てて殺し、解体して、さらにスライスし、
お店でパックに入れてくれたものだ。

わたくしたちは食べものをつくる現場に関わる必要はない。
そこで行われているイヤなことや困ったこともとくに知らない。
すべて誰かがやってくれ、誰かが困ってくれているからだ

そうやってつくられた食べものを食べてわたくしたちは生きている。
そして「食べることは生きること」と言っているのだった。

野菜をつくって食べるだけではこの執着は生まれない。
わたくしは狩猟で初めて「食べること」の本質を知ったのかもしれない。

すべてのものに生命があり、わたくしたちはそれを食べて生きている。
きれいに並んだ肉のパックからそれは想像できないけれど。

気づくのに一年かかったが、今年最後の発見であった。
狩猟をはじめて良かったな。


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