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有機野菜のメリットが主に「安全」な理由を考えてみた

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Byほんたべ

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この写真をお見せするとたいがいの方はびっくりされます。そこで、「消費者よりも確実に
農薬の被害を受けるのは農家です。直接かかっているのですから。減農薬・有機農産物を
選択することには自分の安全とか安心以上に大きな意味があるんです」的なことを言います。
農業の現場のことを消費者が知らないことも実は問題なんじゃないかと思っております。


あけましておめでとうございます。
今年もほんたべ日記をよろしくお願いいたします。

さて、昨年、お友だちのブログに興味深い記事が載っていました。

「沈黙の春」と「複合汚染」が日米の社会に与えた影響の違いは何だろうか
~自然環境保護と人間環境保全


詳細は読んでいただくとして、わたくし的に「あ、そうだったのか!」と思ったのが、
『沈黙の春』(レイチェル・カーソン著)『複合汚染』(有吉佐和子著)という
どちらも有機農業界にいる人間にはなじみ深い著書と、それぞれの著者についての、
「立ち位置(科学者・ジャーナリスト)による切り口の違い」の指摘でした。

わたくしは『沈黙の春』は1992年に、『複合汚染』は2009年に読みました。
おぼろげな記憶から思い出せるのは、以下のようなものです。

『沈黙の春』→
ディルドリンなどのドリン系農薬を散布したあとの畑に虫や小鳥が死屍累々。
『複合汚染』→
農家が農薬散布をやめて数年後黄色い何かを吐いて健康になった。


たぶんこの十数年間に脳内でいろいろくっついてこんな記憶になっているのですが、
ここからもわかるのは、『沈黙の春』は環境問題『複合汚染』は社会問題として
農薬その他の化学物質を取り上げているということです。

『複合汚染』には大地を守る会時代、農家によく聞いた話が載っていました。
「農薬をまいてから酒を飲んで風呂に入ったら倒れて病院に運ばれた」的な話ですが、
当時は毒性の強い農薬が使われていましたから、そういうことはよくあったと思います。

「農薬その他の化学物質が人にどのような影響を与えるか」という視点で書かれた『複合汚染』は
当時の人々に衝撃を与え、結果として、農薬や化学肥料、食品添加物を排除し
「安全な食材を作って届けて食べる」産消提携、及び有機農業運動のきっかけになりました。

有機農業運動のそもそもの成り立ちは「環境問題」というより「安全安心」でした。
ということは、日本の有機農業は「食の安全安心」を軸にしてスタートしたのでした。

しかし、わたくしが入社した頃、大地を守る会の箱には「子どもたちの未来のために」と書いてありました。
このフレーズがいかにも宗教っぽく社名同様誤解の原因になっていたのではないかと思いますが、
「子どもたちの未来のために」必要なものは安全な食べもの+水や大気汚染のない地球環境ですから、
当時は「食の安全」のなかに「地球の環境問題」も含まれていたことがわかります。

というか、当時は有機食材を扱う団体はおおむねどこも環境問題に取り組んでいて、
「合成洗剤」「原発」「農薬(ちょっと過激な人が多い気が・・・)」などに反対し、
自分たちのライフスタイルを変えることで、社会を、地球環境を変えていこうという
その時代(1960年から1980年くらい)ならではの情熱が、関わっている人たち皆にありました。

現在はおしゃれな「らでぃっしゅぼーや」の前身が「日本リサイクル運動市民の会」
なんて名前だったことからもそれが伺えます。
これを支えた人たちが年を取り「エコババ」と呼ばれるのはあたりまえってことです。

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ここ十数年、農薬といえばネオニコチノイド農薬に特化した反対運動が繰り広げられています。
蜂類崩壊症候群(環境)がきっかけだったネオニコ問題は、最近では残留農薬による健康問題(ヒト)
に変化し、ネオニコ悪問題はますます広がっているようです。環境問題よりも安全危険の方が
日本人にはアピールしやすいことを反対運動を推進する人たちもわかってるのでしょう。
農薬はさあ、有機リン系農薬とか、毒性や環境負荷とか全体で見ましょうよ全体で。



これらの団体から運動色が消え、主に「食の安全」を打ち出すようになったのは
有機JAS法の施行とほぼ同じ、2000年ごろのことでした。
表示をルール化するJAS法の施行により、「有機」は「有機農業」という農業の形態から、
有機農産物という単なる「モノ」に変わりました。

すでに大地を守る会の箱からは「子どもたちの未来のために」というフレーズは消え、
キャッチーで宗教っぽくなく訴求しやすい「安心はおいしい」に変わっていました。
「安全・安心」「おいしい」有機農産物。この言葉から想起されるのは個人的なメリットです。
「子どもたちの未来を守る有機農業」は「私個人の問題・有機農産物」になったのでした。

わたくしたちは気づきませんでしたが、おそらくそのとき、主たる消費者層も変わったのでしょう。
そしてその原因は、もしかしてもしかして、当時のわたくしたちが作ったのかも。うげげげげげ。

3年ほど前、有機農業界の人々がいっせいに「アグロエコロジー」
よその国の言葉と概念を使って有機農業の見直しをはかったことがありました。

当時わたくしは今さら何言ってんだ、などとナナメにかまえて見てしまっていましたが、
2000年以降、有機農業運動と環境問題とのつながりがなんとなく切れてしまい(自爆)、
安全安心という価値しか知らない人が増えたことを憂えた有機農業界のエライ人たちが、
有機の意味を再定義する必要があると考えたのではないか、と、今になって気づきました。

有機農業は、環境を破壊しなくては継続できない農業という職業において、
一般的な栽培と比較して破壊の度合いが少なく、ある部分は自然と共生しながら
生態系や生物多様性を守りつつ、持続可能な農業であるとわたくしは考えています。

したがって、有機野菜を選択することは、環境や生態系、生物多様性を守ることに繋がっている
と思うのですが、いかんせん現在の日本では安全のみがクローズアップされており、
それ以上の思考の広がりが期待できない状態になっています。

どんなものでも「安全と危険」というものさしで測り始めると眼の前の価値に囚われてしまい、
そのものが持つ意味や意義などの大きな視野が持てなくなります。
しかし訴求力の強さでは「安全・危険」という価値に勝るものはないのです。

そして、安全性のみに価値を見出す人は、おそらく環境問題には興味がないでしょう。
「虫がなんなの、気持ち悪い。そんなのついてたら異物混入だよね」って感じです。
だからこそ、有機農業界は「アグロエコロジー」という新しい言葉、
新しいアピール方法をよその国から借りる必要があったのではないでしょうか。

さらに悲しいことは、最近アグロエコロジーとか全く聞かなくなったことです。
どうなっちゃったのかなー。わたくしの無知のせい?

ともあれ、有機農業の本来の役割をもう一度定義すべきときが来ているのではないか、
なんちて、新年に際してしみじみと思うわけです。
農業者の皆様、エコババの方々、いかがなもんでしょう。

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