有機農業と原発
皆さんが無事、家族のもとに戻って来られますように。
これ以上大きな事故が起きませんように。

1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所で大きな事故が起きました。
日本にこの事故が伝わったのは何日だったか…はっきり覚えていませんが、
まず最初にヨーロッパで放射性物質が検出され、その後日本でも検出されて、
原因がソ連の原発事故だとわかったのは少し後だった気がします。
当時、私は鳥取におり、ローカルテレビ局でテロップを打つバイトをしていました。
テレビ局なので、基本社内はテレビつけっぱなし。
ニュースで大騒ぎしてるのを見ながら、テロップを打ったのを覚えています。
原子力発電所の危険性など、それまで一度も考えたことがなかった
ふわふわした小娘だった私ですが、事故後、原発に詳しい上司の話など聞き、
広瀬隆さんの本などをわりあいと真剣に読み、出した結論。
「このようなリスクの高いものを作る必要があるのかしら、いや、ない」

鳥取くんだりまでいらっしゃった広瀬隆さんの講演なんかにも行って、
大変に暗くてコワイ話を聞き、さらに原発への恐怖を高めたわたくし。
その後東京に引っ越して就職した会社が、有機農産物等の宅配をする会社、
大地を守る会でした。居心地がよくて18年ほども働いてしまったです。
この会社は運動と事業を両立している、日本では大変珍しい会社です。
NGOとしての大地を守る会の中に「原発とめよう会」という委員会があり、
組織として原発に反対しています。大変とても珍しい会社です。
(反対集会に参加して公安に写真撮られたとか言ってたことが懐かしいです)
その理由は
「どんなに安全な食べものを作っても、放射性物質が空から降ってきたらおしまい。
であれば、有機農業と、放射性物質をまき散らす可能性のある原子力発電は相入れない」

チェルノブイリ事故後、日本でも次々に食品から放射性物質が検出され
風評被害などが起きた際に出された結論だったと聞いたような気がします。
(こんなこと書いてると「違う」って怒られるかな~。ごめんなさい)
なぜ「有機農業と原発は相入れない」のでしょうか。
1960年から1970年代にかけて散布されたDDT、ドリン系農薬、カドミウムなどは、
いまだに土壌を汚染していて、野菜や米から残留農薬として検出されることがあります。
これらは、私たちの親・祖父世代の負の遺産です。
しかし彼らもこんなになるまで残ることは、想像していなかったでしょう。
知っていたら多少躊躇したのではないでしょうか。
少なくとも大切な子孫に残すべき自分の土地を、汚染し続けることになるのですから。

放射性物質はこれらの農薬のどれよりも残留し、土壌と環境を汚染するものです。
健康な土を作って安全な野菜を作っても、空から放射性物質が降ってきたらおしまい。
長年の苦労が一瞬で水泡に帰してしまう…放射能汚染とはそういうものです。
この何日か、そのことについて考えています。
そうなったら、安全性をどこに求めればいいのか、そもそも安全があり得るのか。
そして、「ほんものの食べもの」なんて、戯言にしかならなくなるのではないか。
「有機農業と原発は相入れない」
この言葉を今、大変な重みとともに再度受け止めています。
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